バッドエンドもあるという、 胡散臭くもリアリズム。 『すきまかぜ』 あの再会から彼女は週に一回、この病室を訪れるようになった。 仕事はどうしたのかと聞けば、 「毎日の睡眠時間削って会いに来てるんです」 …とのこと。 「…………」 疲れて見えるのは勘違いではなかったか。 きっと彼女は、ごめん、なんて欲しくないだろう。 無理して来なくていい、なんて言おうものならどんなに怒るか。 だからあまり口にしない言葉をあげたいと思って、 「?、?、なんですか?」 引っ張って、引き寄せて、耳を借りて、小さな声で。 「 」 当たり前な一言を。 見たかったのは、 「…どういたしまして」 その、笑顔。 ありがとう、なんて照れくさい。 けど言葉にしないと後悔することを知っているから、 今はなるべく素直に。 そう、後悔、しないように。 「じゃあ、そろそろ帰りますね」 「、あぁ」 もうそんな時間か。随分悲しそうに言うんですね。 「また来ます」 「待ってる」 あなたの言葉の後に、目配せ。 数秒見詰め合って、あなたが口元を綻ばせる合図。 私は少し屈んでベッドに手を付いた。 あなたは首を伸ばして、顔を寄せた。 さよならのキスはいつも切なくて仕方ない。 「……………、」 ちゅ、と唇が触れる程度のキスだった。 「……………じゃあ、」 いつもはもう少し、あとちょっとと繰り返してはキスをやめないでいるのに、 今日はやけにあっさりしてた。 「…また、来週に」 そんな、気持ちで、私は。 あの瞬間、閉じた唇の向こうに広がっていたのは、 血の味、 だったというのに。 愚かなほど素直に、あなたの小さく笑ったあの顔を信じた。 疑いもしないで、 予感もしないで、 来週、と約束したのに。 睡眠時間を削っても時間が空かず次に会いにいけたのは あれから二週間後のこと。 「(たった、二週間なのに)」 こんなに足早になっている私は、彼が。 「…会ったら、抱きついてみましょうか」 昔みたいに。 病室の前。 そっと息を吐いて、 ドアを開いた。 「………………」 飛び込めなかったのは彼が遠くを見つめていたからだ。 それがあまりに儚い光景だったからだ。 「、あぁ」 私に気付き薄く笑って、 わけもわからず目の奥が熱くなって、 「……鳴海、さん」 「どうした?」 「なんか………」 痩せてませんか、聞けないのは事実だから。 私の動揺に気付いたらしく、彼は窓に目をやった。 そして私から視線を外してこう言ったのだ。 「…もう、駄目みたいだ」 「、」 もう、駄目みたいだ。 脳内でエンドレスリピート。最終宣告が響く。 「だ、め……?」 既に泣きそうな自分。 ただ頷いた彼。 「目、もうよく見えてないんだ。手も完璧に動かなくなって。 脳もやばいらしい。昨日のことすらよく思い出せなくて、な。 なぁ、」 「この前あんたに会ったのは、いつだったかな」 あぁもうそんなに。 二週間しか、経ってないのに。 一週間前はどうだったんだろう。 私が行けなかった一週間前は。昨日は。 どうしようもなく何かに縋りたい、 どこに頼ればいいですか。 神ですか?今一番悲しいはずのあなた? さよならなんてしたくないよ。 ただ呆然と立ち尽くしているだろう彼女。 目が見えたなら、この腕が伸ばせるなら、抱きしめていただろう。 動けない体で良かったのかも知れない。 「………………もう行けよ」 残酷にだって聞こえるだろう。 「………え?」 頼むから悲しそうな顔だけは、しないでいて欲しい。 「あんたには未来があるだろう」 こんなとこで悲しむ必要はない。 さっさと次へ行けばいい。 「あ…未来…なんて、」 「大丈夫だ」 ちゃんと言葉は背を押せるかい? 「あんたは行ける」 痛みは多少伴うが、振り切れないあんたじゃ、ないだろう。 なぁ? 「っ………」 渋るな、悔やむな、恐れるな、決して振り返ってはいけない。 傷は癒えるからどうか、今は、悲しい決断を。 「あんたは行けるよ」 「………………さよう、な、ら……?」 搾り出して擦れた声に頷いた。 彼女の走り出す音。 キュッと、ドアのところで止まって。 「…ありがとうございました、…………また、」 廊下をかける音。 目が見えなくて本当に良かった。 泣いてる顔など見たくもない。 彼女が最後戻ってこなくて本当に良かった。 泣いてる顔は見られるのだって御免だから。 同じ未来は歩けない。そういう終わりもある。 見えないから手探りで鍵盤を探し当て、 おぼつかない指でメロディーを。 この音がキミに届く間は思い出だけ思い浮かべていよう、と思い、 笑い、そして、 途切れた瞬間に、密かに息を引き取った。 また、なんて、ないのに。 と、彼はその言葉を抱きしめて逝くことにした。 おわり、